将軍の礼法と精神体験

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日光は稀有な宝石のような存在であるという事は国内では広く知られているが、この聖地について英語の印刷物やメディアではあまり言及されていない。日光は外国人の目から見ると驚くほど神秘的だ。東京の北、内陸にひっそりと佇むこの地域には、日本で最も貴重で古くから受け継がれてきた伝統や慣習がある。

東京の雑踏や街並みから一日二日抜け出して、何世紀にもわたって日本のリーダーである将軍を生み出した時代と文化的エートスに浸ってみてはいかがだろう。日光には多くの芸術や伝統文化が残されている。私たちは、日本のエリートや指導者たちの肉体と精神の育成に貢献してきた特別な2つの伝統に焦点を当てる。

この地を訪れると、将軍たちが魂を磨き、精神を鍛え、自己を高めるための手法や哲学を学んだことが感じられるだろう。彼らの歴史的な功績や影響力は日本の歴史に深く根付いており、守り続けた伝統や慣習は、日本の精神的な土壌を育んできたと言える。

ここでの体験は、日本のエリートたちが何世代にもわたって培ってきた知識と智慧を垣間見る機会となる。現代の我々の生活の近くには存在しない。
日光の美しい自然と歴史的な背景に包まれながら、私たちは彼らの精神の成長と発展に触れ、自らの成長にも繋げることができるかもしれない。

小笠原流礼法

小笠原流礼法は8世紀以上にわたって、武士が戦場或いは戦場外でも武士たる者の振る舞いを伝えて来た。この礼儀作法と技の伝統の中に、「礼法」「弓術」および「流鏑馬」の3つの流儀が残されている。

弓術は日本の伝統的な武道であり、弓道は禅のような落ち着きと、射手が自分の心を静め、的に向けられた全てのエネルギーを込めて放つ姿が美しいと言える。一方、流鏑馬は、走る馬から的を射抜く芸術。馬が猛スピードで疾走する中、騎手は鞍から手を離し、猛スピードで射ることに全力を尽くす瞬間が、勇気と技術の饗宴となる。

射手が矢を放つ前に弓に矢を引き絞る行為には浄化の目的もある。弓道には儀式的意味合いがあり、古代の神道の伝統と結びついて、弓を射る人とその芸術を一体化させ、周囲を取り囲む自然空間との有機的な結びつきを生み出している。

弓を手になじませ、矢を弓弦につがえる前に、武士の礼儀作法を正しく理解する必要がある。小笠原家は、武士や将軍に必要な礼儀作法である「礼法」の伝導者として使えた家系である。この伝統は将軍の品格や精神的な成長を育み、戦場だけでなく、日常の生活でも忠誠と品位を示す基盤となっている。小笠原流の価値観は、武道の技と礼儀作法の統合によって、武士の身心の完成を追求し、尊敬と感謝に満ちた道を築いてきた。

礼法では、立ち方、歩き方、基本的な体の動かし方を学ぶ。正しい座り方、立ち上がり方、テーブルマナー、正しい食べ方や飲み方、日常品の持ち方や扱い方も学ぶ。こうした作法や礼儀作法の遵守は、武道家の心を形成し、「整えの心」の形成に役立つ。小笠原流では、日常動作の作法や正しさから心身が鍛えられ、そこから武道の道が拓かれていくと考えられている。日常の何気ない動作から余分な動きを封じ、整えることを学ぶ。

武徳殿(登録有形文化財)

「武徳」とは、武士として守るべき道徳心のことであり、威厳や美徳を表す言葉でもある。
武徳殿は当初、参拝者の憩いの場として(1914年創建)、また東照宮創建300年を記念して作られた。現在は、現代の武士の身体鍛錬と精神修養の場として利用されている。東照宮道場生の訓練は、流鏑馬(やぶさめ)のための木馬訓練と、少年から大人まで多くのグループを対象とした武術合宿などが行われている。東照宮武徳殿は戦後「剣道復活の地」と呼ばれ、国の登録有形文化財にもなっている。
この武徳殿で、小笠原流や柳生新陰流宗家による武道体験ができる。
この貴重な体験は、My Shogun Storyの参加者のみご体験頂けます。

小笠原流礼法

200年以上の歴史を持つ「日光 高井屋」では、日本ならではの伝統料理を楽しむことができる。「和食」は2013年にユネスコの人類無形文化遺産に登録された。この素晴らしい料亭で食事をしながら、小笠原流の食事作法を学ぶ。

日本料理「日光 高井屋」で小笠原流宗家から食事作法を学び、伝統的な会席料理を堪能するという贅沢な体験が待っている。

小笠原流宗家により直接、武士の心と品位を形成する要素や食事作法の直接指導を受け、伝統の重みと意義を深く理解する。季節の恵みを活かした美しい懐石料理。日光 高井屋の伝統的な会席料理を堪能出来る。

日光の素晴らしい自然環境と伝統文化に包まれながら、小笠原流の精神と作法を学び、食の楽しみを追求する旅に出かけることは、心身の豊かな成長と感動を味わうだろう。日本の美と伝統に触れながら、心が豊かに育まれるようなひとときを。


柳生新陰流兵法

日本刀の熟練の技は、一生を費やす仕事であり、真に深く極めることができるのは、ごく限られた者だけである。柳生新陰流は何世紀にもわたり、「兵法」とも呼ばれる剣術の技法と秘伝を守り続けてきました。私たちは旅の途中、彼らの稽古場を訪ね、この古武術の伝統をさらに発見する。

柳生新陰流の「兵法」では、刀を使う際は心身ともにリラックスした状態で、流れるような自然さが求められる。この剣術を教える師たちは、心と動作の一体性を強調し、両者の間に存在する切っても切れないつながりを認識する。柳生新陰流の追求は、単に正しい剣の使い方というだけでなく、常に自己を研磨し、向上を目指す中で心の感性を磨く道である。

「仁」:他者を深く思いやる

「義」:義の人としての「道」を守る

「礼」:礼儀作法を守る

「智」:正邪を見分ける知恵

「誠」:忠実

「兵法」とは、自分自身と向き合うこと。
柳生新陰流は、禅に深く根ざし、「まろばし」と呼ばれる剣の攻撃と反撃の間を浮遊し応用する剣術、先入観や期待にとらわれず、スムーズに動き、反応するための「離」を用い単なる武術ではなく生き方を示している。

柳生新陰流の修行者の究極の目標は、「真我の人」、「絶対真理の人」、「仏になる」ことにある。丹念な稽古と集中力、そしてエゴの克服に集中することで、自己を超越し、純粋で自然な世界の調和の道が開かれる。

これらの徳目を持ちながら、柳生新陰流の剣術を学ぶことは、単に技を磨くだけでなく、心の成長と品位の向上を追求する重要な道でもある。柳生新陰流の伝統と遺産を学ぶことは、現代人の心に求道心を高める機会になるだろう。


日光東照宮

日光を見るまでは、「決して “素晴らしい “と言ってはいけない」という喩えがある。徳川家康を祀る絢爛豪華な建造物の数々は、全国でも類を見ない。家康の功績を讃える霊廟であると同時に、徳川家系に捧げられたものでもある。

東照宮とは、徳川家康が葬られ「東から光り輝く神社」という意味で祀られている。この地には、神道と仏教の両方の要素が含まれており、この広い神聖な場所の至る所でそれを体感するだろう。

東照宮に足を踏み入れると、ひとつの門が目に飛び込んでくる。 陽明門である。華麗で見事なその芸術的な造りは、私たちの想像力をかき立て魅了する。この門は「日暮の門」とも呼ばれ、一日中この門を眺めていても飽きる事は無いだろう。荘厳な意匠と装飾は、日本中見渡しても他に類を見ない。

陽明門は幅7メートル、高さ11メートル。幅7メートル、高さ11メートルもあり、508もの精巧な彫刻が施されている。かつての美しさと重要性を保つため、建造物固有の伝統を守りながら、細心の注意を払い維持されてきた。門の装飾には20万枚以上の金箔が使われている。また、陽明門の随所に民話や伝説に登場する場面や物語が描かれている。

鳥居最上部には徳川家康の神号「東照大権現」が記されている。この建造物全体が、天下泰平を目指した徳川家康の遺産であり、未来への希望と調和を示した金字塔である。

境内には、驚くほど多くの生き物と芸術的表現がある。龍、虎、花、ネズミから静寂を守る有名な眠り猫の彫り物、「悪を聞かず、悪を語らず、悪を見ず」という自制心を教えてくれる三猿、そして東照宮を夜通し守る神聖な獣「ツツガ」。象を見たことのない画家が彫ったという「想像上の象」にも注目だ。

東照宮は他に類を見ない、息をのむような体験ができる場所だ。この聖地は、日本の精神性、歴史、考古学、民間伝承、伝説、伝統の本拠地である。東照宮はまた、想像と白昼夢の空間であり、未来の平和と繁栄を祈る場所でもある。

特別祈祷 将軍の間(非公開)

御本社(国宝)
御本社は日光東照宮の最も重要な場所で、本殿、石の間、拝殿からなる。年中行事やその他格式の高い儀式に使われる。拝殿の左右には、特別な「将軍着座の間」と「法親王着座の間」がある。

日光東照宮「将軍着座の間」での特別拝観及び特別祈祷を受ける。普段は非公開の神聖な場所。このような体験が出来るのはMy Shogun Storyの参加者のみ。