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  2. 世界遺産 -日光-

1999年12月2日、モロッコのマラケシュで開催された第23回世界遺産委員会において、「日光の社寺」が世界遺産に登録された。
世界遺産に登録された「日光の社寺」は、日光の山中にある二荒山神社、東照宮、輪王寺の建造物103件(国宝9件、重要文化財94件)と、それらを取り巻く「遺跡(文化的景観)」で構成されている。
これらの国宝・重要文化財のうち、特に有名なものは以下の通りである:

日光東照宮

日光東照宮は、徳川初代将軍である徳川家康を祀るために1617年に創建された。彼は乱世を経て秩序を確立し、学問と産業を奨励し、平和と洗練された文化の礎を築いた。その結果、260年にわたる平和な江戸時代が作られた。

この歴史的な出来事は日本の歴史と文化における転換点であり、日本の発展に大きく貢献した。江戸時代は、徳川幕府のもと、平和と繁栄が実現され、文化や芸術が繁栄した。特に、江戸時代は日本の文化や伝統芸能が栄えた時期として知られている。

日光東照宮は、徳川家康の功績を称えると同時に、日本の平和と繁栄を象徴する重要な存在となっています。そのため、多くの人々が参拝し、感謝の念を捧げる場となっている。

日光東照宮は日本の国宝としても認知されており、その美しい建築様式や歴史的な価値が世界中に知られる近代日本の発展に寄与している。日本の伝統文化と歴史に興味を持つ人々にとって、日光東照宮は必見の場所となっています。

Shogun:将軍

徳川家康は1616年4月17日、駿府城(静岡県静岡市)で73歳の生涯を閉じた。

家康公の遺言により、その1年後に久能山から現在地に遷座され、家康公を祭神として祀られた。そして1645年に東照宮と命名される。東照宮は長い年月の間、当初の様式と豪華さを保つために細心の注意を払って維持されてきた。

金56万8000両、銀100貫目、米1000石、現在の貨幣価値に換算すると400億円以上であるとも言われる。

日光東照宮は自然の地形を巧みに活かした参道や階段、社殿の配置が特徴的である。参道や階段は、周囲の自然環境と調和し、訪れる人々に荘厳な雰囲気を演出している。また、社殿は漆塗りや絢爛豪華な色彩で装飾され、その美しさは目を見張るものがある。

社殿の柱には多くの彫刻が施されている。それらは単なる意匠的な要素ではなく、宗教的な表現や哲学的な意味、民俗学的な表現が込められており、歴史や信仰を伝える重要な要素として、日光東照宮の独自性と深い意味を持っていることが理解される。

日光東照宮は、日本の伝統文化と歴史を象徴する場所であり、その建築や装飾に込められた意味は、多くの人々に感動と敬意を抱かせるだろう。訪れる人々にとって、その荘厳な雰囲気と宗教的な表現が、心に深い感動を与える。日光東照宮の存在は、日本の文化遺産として、後世に語り継がれるべきものとして大切にされていくことだろう。

石鳥居(重要文化財)
神社創建の翌年、元和4年(1618年)に九州筑前(福岡県)の藩主黒田長政によって奉納された。石材は、まず九州から小山まで船で運ばれ、その後、手作業で日光まで陸路で運ばれた。

五重塔(重要文化財)
1650年(慶安3年)、若狭国(福井県)小浜藩主酒井忠勝によって奉納された。火災で焼失したが、天保元年(1818年)に再建された。

表門(重要文化財)
表門は東照宮の最初の鳥居で、両脇に獰猛な仁王像が安置されていることから仁王門とも呼ばれる。

三神庫(重要文化財)
春と秋に行われる「百物揃千人武者行列」で使われる馬具や様々な衣装が納められている。社殿上部の屋根下には、狩野探幽のスケッチである「想像の象」が大きな彫刻として彫られている。

神厩舎三猿(しんきゅうしゃさんざる)(重要文化財)
神馬の厩舎。中国では古来、猿は馬を病気や事故から守ると信じられてきたため、長押上には猿の彫刻が8面あり、人間の生活を風刺した彫刻がある。厩舎の猿は「馬屋神(うまやがみ)」と呼ばれている。

日光で最も有名なのは、「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿像である。

お水舎(重要文化財)
参拝者が手を洗い、口をすすぎ、心身を清めてから参拝するための建物。元和4年(1618年)、九州佐賀藩主鍋島勝茂公によって奉納された。

陽明門(国宝)
日本を代表する最も美しい門。見飽きることがなく、一日見ていても飽きないことから、「日暮の門」とも呼ばれている。物語や寓話、聖人や賢者、民俗的なキャラクター、霊的な生き物など500以上の彫刻で飾られている。

廻廊(国宝)
陽明門の左右に延びる建物の外壁には日本最大級の花鳥の彫刻が施されている。鮮やかな色彩で彩られた一枚板の透かし彫り彫刻が見事である。

唐門(国宝)
門全体が貝殻から作られる特殊な色調の「胡粉(ごふん)」で白く塗られ、一本のケヤキから彫られた4列27体からなる「教友・崇峻」、「舜帝朝儀(しゅんていちょうぎの)」など細かな彫刻が施されている。

御本社(国宝)
東照宮の最も重要な部分で、「本殿」と呼ばれる本堂、「石室」、「拝殿」からなる。ここでは年に一度の祭りやその他の儀式が行われる。拝殿の左右には「将軍の間」と「法親王着座の間」がある。

神輿社(しんよしゃ)(重要文化財)
春と秋の神幸祭(5月18日と10月17日)に使われる三基の神輿が納められている。

祈祷殿(きとうでん)(重要文化財)
結婚式や初宮などのご祈祷が行われる。

眠り猫(国宝)
左甚五郎作と伝えられる。牡丹の花に囲まれ、日差しを浴びてうとうとしている姿から「日光」にちなんで彫られたといわれている。

奥宮(重要文化財)
奥宮は、御祭神を祀る社で、拝殿、鋳抜門、御宝塔からなる。

宝物館(ほうもつかん)
宝物や重要な美術品を収蔵する施設。

仏徳殿(登録有形文化財)
武徳を保存し、積極的に発展・維持させるための特別な神聖な場所。

美術館

客殿・社務所
客殿・社務所は、参拝者の接待、祈祷、祭礼の施設として広く利用されている。茶会やミニコンサートなども催される。


日光二荒山神社

782年、この神社は勝道上人という仏教僧によって創建された。当時、神道と仏教は密接に結びついており、この神社は日光三霊山を祀っている。 男体山、太郎山、女峰山である。二荒山(ふたらさん)という名前には、三山の中で最も偉大とされる「男体山」と同じ意味も込められている。また、勝道上人は近くにある輪王寺も創建した。

神社は3つに分かれており、見どころが多い。本殿は日光東照宮と大猷院廟の間にある。次の神社は中禅寺湖畔にあり、最も高く神聖な「奥宮」の中心は火山である男体山の山頂にある。

二荒山神社はユネスコの世界遺産にも登録されており、特にその独特な形をした「入母屋造」の屋根が有名である。二荒山神社には、縁結びや子宝祈願の参拝客が多い。この地域の他の神社ほど豪華ではないが、二荒山神社は、男体山を背景とするこの地域の三霊山を祀る場所として、精神的に深い意味を持っている。国造りと医薬の神である大己貴命(おおなむちのみこと)を祀り、毎日、巫女が神楽を舞う。二荒山神社博物館には、刀剣のコレクションがあり、日本最長の刀剣「祢々切丸」もある。博物館には他にも国宝がある。

倉稲魂神(うかのみたまのかみ)もまた、この地に鎮座する中宮祠稲荷神社の祭神である。五穀豊穣や商売繁盛を願う人々の信仰を集めている。

二荒山神社には、日本三大美橋のひとつもある。この朱塗りの橋には二つの名前がある。ひとつは「神橋」、また以前は「山菅の蛇橋」と呼ばれていた。伝説によれば、小童が大谷川を渡ることができなかったとき、大谷川の強い流れのために、身の丈10フィート(約1.5メートル)の神が現れたという。その巨大な神は右腕に赤と青の2匹の蛇を巻いていた。神社大王が蛇を放すと、蛇はスゲに覆われた虹の橋に姿を変え、小童たちは無事に渡ることができた。

二荒山は広大な土地で、多くの建物、像、門がある。森の中に佇むこれらの区画をぶらぶら歩きながら、この神聖な場所を取り巻く景色と音を楽しんでほしい。


輪王寺

輪王寺と呼ばれる寺の境内に入ると、三体の重要な仏陀を祀る非常に神聖な建物がある。その建物は「三仏堂」と呼ばれている。阿弥陀如来、千手観音、馬頭観音の三体が祀られている。この三尊仏は、二荒山神社に祀られている日光三山の神の仏教的な姿である。神道と仏教の類似性は、この2つの精神的な流れの間に完全に見出される。明治以降の神仏分離の荒波を越えて現在の輪王寺がある。

この寺の境内には、佐藤一斎という儒学者によって名付けられた「逍遥園」と呼ばれる美しい庭園がある。池には鯉が泳ぎ、石灯籠や塔、竹垣で飾られている。素朴な茶室もある。この庭園は滋賀県の琵琶湖を模して造られたと言われている。輪王寺は仏教美術、文書、経典の巻物、その他多くの歴史的、文化的なものの宝庫である。私たちが散策して楽しめるように、かなりの数が展示されている。徳川家康の霊廟を管理する寺として、輪王寺は特に重要な仏教寺院のひとつと考えられている。